お仁の一期一筆

第六十九筆「心耕す芸術文化」

神奈川県座間市のアパート一室で男女九人の切断遺体が遺棄された事件の続報。交際女性を殺害して遺棄した東京・大田区職員の逮捕。朝鮮半島危機が軍事紛争に至った場合の対応協議などを主題とした米国トランプ大統領の来日報道…。

四一〇三人の秋の叙勲受章者が発表された今月三日の文化の日からの三連休の新聞紙面は〝文化の薫り〟とは程遠い内容で連日埋まった。何という時代であり、社会なのだろうか。

二七歳の男が死体遺棄容疑で逮捕された座間市の事件では、浴室で遺体切断に使われたであろう包丁や千枚通し、のこぎり、キッチンバサミなどが室内から見つかっている。想像するだけで胸がムカムカする。

最悪の場合、米朝核開戦にも発展しかねない北朝鮮問題は、より深刻だ。最悪のケースを想定して準備することは国家生存の最重要事ではあるが、軍事力を背景とした両国の〝恫喝〟の応酬は、軍事紛争一歩手前のキナ臭さを感じる。開戦となれば、韓国や日本などの被害は計り知れない甚大なものになるだろう。

〈文化とは、人間性を破壊する野蛮との闘争である〉という先哲の言葉がある。文化は野蛮や破壊の対極にある。人間が持つ〈善の心〉を引き出してくれるのが文化である。

文化は英語でカルチャーという。耕すという意味もある。人間の残虐性の芽を摘み取り、人の心を耕すのが文化。芸術文化の秋は、人の心を広げてくれる季節でもある。殺戮が横行する殺伐社会はご免だ。文化の薫る社会で日々を過ごしたい。我が願望である。

第七十○筆「時間泥棒」

あっと言う間に今年も師走を迎える。齢のせいだけではないと思うが、一年が光陰矢の如く過ぎ去っていく。誰かに我の時間を盗み取られている気がする。ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの作品『モモ』に登場する〈時間泥棒〉の話に現実味を感じる昨今だ。

モモの物語は、時間泥棒という泥棒に言葉巧みに時間を盗まれた街の人たちの奪われた時間を、時間泥棒から取り戻す少女の話である。

時間を奪われ、とりとめのないお喋りなどゆとりのある生活を次第に失ってしまった街の人たちの姿は、忙しさの中で生きることの意味を忘れかけている現代の人たちへの警鐘でもあるように思う。

今を生きる我々は、洗濯機、電気掃除機、食器洗い機、電話、コンピューター、携帯端末機器など、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずのおびただしい機械や手段を手に入れたが、前よりゆとりある生活を送っているだろうか。

残念ながら、違う。喫茶店でゆっくりコーヒーを飲みながら同席者と会話を楽しむ余裕もない。携帯端末に入ってくる仕事や個人的なメール処理に追われる。時間的なゆとりだけでなく、精神的なゆとりも失っているのが現実だ。本末転倒である。

時間を節約でき、精神的にもゆとりある生活を期待したにもかかわらず、逆に人生の踏み車を以前の一〇倍の速さで踏み続ける羽目になり、日々の生活に落ち着きを失い、いらいらした思いで過ごしている。〈便利さの罠〉から時には距離を置き、奪われた己の時間を取り戻したいと思う。

読売新聞販売店一覧

スタッフ募集